3月14日の佐賀イベント吉野ヶ里歴史公園ジョギング会の準備を進めています。

1つ目、ジョギング用の靴を買いました。走り慣れていない人は、クッションが厚いものが良いようです。トップランナーは少しでもタイムを縮めるため軽い靴を履くみたいですが、まず怪我を減らす事を優先しました。ランニングで怪我をするのは膝が多いようです。経験では、膝が着地時にブレると負担が増える気がします。奇麗な姿勢で走りたいものです。

2つ目、車で行きますので、スタッドレスタイヤに換えました。静岡の平野部で住んでいるとほとんど雪が降らないため、スタッドレスでなくても問題ないですが、佐賀へ向かう途中の関ヶ原などは雪が多い道路ですので、念のためです。タイヤ屋さんに聞いたところ、3シーズンくらいは保つそうです。

3つ目、目的地と道路の調査。佐賀への道と所要時間をgoogle mapのルート・乗り換え案内で調べました。車のカーナビでも分かります。技術の進歩はありがたいですね。周辺の史跡・観光地にも行くつもりですので、一通り調べました。

4つ目、宿泊の予約。じゃらんで調べました。インターネットが出来る所とか、条件をつけて調べられるのがいいですね。

12日の夜から車を走らせて、13、14、15日と観光。15日の夜に戻る予定です。どこに行くかは行ってから報告します。写真を撮ってきますので写真で発表です。

 

松浦彰夫 拝

YouTube - 第35回駿府マラソン ハーフマラソン往路

 

人気ブログランキングへ


弾圧は苛酷なままままに続き、1955年には新たなキャンペーンとして「潜行反革命分子粛清運動が(略して粛反)が行われました。とりわけ知識人を対象にしており、ある情報筋では8万人が逮捕されたといい、別の情報筋は77万人が死んだといいました。あらゆる整風運動がそうであったように、まず、自然発生的な発言ともっとも広汎な不賛成の意思表示とを掻立てておいた上で、つづいて「悪い思想」を露にした連中を粉砕するというものでした。

毛沢東主義社会が真に形成されたのはこの時です。文化大革命のときでさえ、社会を不安定化させたのは一時的に過ぎなかったのです。毛沢東主義社会の基礎は、自身の金言「階級闘争をわすれるな!」にあると言っていいでしょう。実際、この社会ではいっさいが、農村では土地改革のキャンペーンとともに、都市では1951年の「大衆」運動キャンペーンとともに開始され,1955年頃になって初めて完成をみた、個人へのレッテル張りの全般化に基づいていました。きまぐれな社会的区分でしたが、数千万人の人々にとって、これは悪魔のような結果を伴うものだったのです。

社会集団と政治集団を混淆した結果、「紅類」(労働者、貧農、下層中農、党幹部、人民解放軍兵士)と黒類(地主、富農、反革命分子)との二元的な分割となり、さらに2つのグループのあいだに「中立類」(知識人や資本家)が置かれていました。右派分子は公式に名誉回復されたとしても、次の大衆キャンペーンが起こると、格好の標的となりました。このシステムの地獄的な論理は、闘うべき、時には打倒すべき敵が必要であり、そこで、敵の「ストック」は絶えず補充されるべきだという点にありました。

参考:紅衛兵

このような分類法は言葉のマルクス主義的意味での社会階級より、むしろ,インド流のカーストに近いものといえました。レッテルの世襲化は社会を恐ろしく硬直化させ、「悪い生まれの」人々を絶望の中に投げ込むのに貢献したのです。実際「黒類」の人々にたいしては入学、就職、政治生活への参加の場合など、差別が伝統的に貫徹されました。「紅類」の配偶者と結婚するのは非常に難しく、社会は常に彼らを排除追放しがちでした。


参考文献:共産主義黒書 コミンテルン・アジア編
第二部 アジアの共産主義ー「再教育」と虐殺のあいだ
第一章 中国
土地改革と都市での粛清(1946ー1957)
都市:「サラミ戦術」と財産没収


ナチズムの犠牲者約2500万人に対し、共産主義により殺された人数は1億人に近い。民族・人種によるジェノサイドとイデオロギーによるジェノサイドがどこが違うのか?

共産主義黒書 第一部はこちら Crescendo

人気ブログランキングへ


1949年に台湾と香港への流出を遅らせる為に赦免された国民党の元政治家・軍事幹部は2年も経たたないうちに殺されました。刑法の制定も弾圧を容易にするのに貢献し、「反革命分子」と「現行反革命」と「歴史的反革命」に区別し後者をも罰することにより、犯罪遡及(そきゅう)の原則を導入したのです。さらに犯罪を犯していない被告人を、「類推」によって裁くことも可能となりました。(遡及=法律や法律の要件の効力が、法律の施行や法律の要件の成立以前にまで、さかのぼって及ぶこと。過去にさかのぼって、効力を及ぼすこと。)

1957年に毛沢東地震が、この期間に一掃された反革命分子とおして80万の数字を挙げています。都市での処刑件数は少なくとも100万人の大台に達しました。都市においてこそ抑圧が最も厳しく、250万人が「労働強制所」に拘留されました。都市での粛清の形態は実際のところ、ソ連で行われたような秘密のベールに包まれたやり方と異なっていたのです。

労働者は街道委員会の指導のもと、資本家に対し帳簿の公開、批判の受け入れ、自己批判の実行の強制、さらに国家の管理の受け入れを強制しました。資本家がそれを受け入れれば調査グループに参加して同僚を密告するように勧められ、そうでなければ、事態は最初の段階からやり直しとなるのでした。知識人にたいしても、ほぼ同様でした。「服従と再生」の集会に参加して、自分の中に住み着いた「古い人間」を、その疑惑や自立的思想ともども殺したことを見せなければなりませんでした。彼らから逃れる手段は何一つなく、ーーーー伝統に忠実に選ばれた解決策としての自殺だけでした。

企業長は1951年以後、帳簿を公開せざるを得なくなり、1956年にはささやかな終身年金と時には旧会社の技術顧問のポストとひきかえに会社の集団化を「提案」されました(のちの文化大革命は否認されました)。中小企業の経営者は、何もかも巻き上げられて自殺することがしばしばでした。大企業の経営者の扱いは、海外ネットワークの絆を彼らが握っていたので、まだましでした。

参考文献:共産主義黒書 コミンテルン・アジア編
第二部 アジアの共産主義ー「再教育」と虐殺のあいだ
第一章 中国
土地改革と都市での粛清(1946ー1957)
都市:「サラミ戦術」と財産没収


ナチズムの犠牲者約2500万人に対し、共産主義により殺された人数は1億人に近い。民族・人種によるジェノサイドとイデオロギーによるジェノサイドがどこが違うのか?

共産主義黒書 第一部はこちら Crescendo

人気ブログランキングへ


毛沢東は1950年11月の朝鮮戦争への中国軍の参戦に続く先鋭化段階(反革命鎮圧運動)に祭し、進行中の虐殺を公然と承認し「もちろんわれわれは、殺されるに値するすべての反動分子を殺さなければならない」と述べました。しかし、この時点における新たな要素は、終息に向かっていた土地改革ではなく、暴力的粛清の都市への拡大だったのです。

知識人、ブルジョワ、非共産党活動家、自立心が強すぎる共産党幹部など、中国共産党の全体主義的な統制計画を阻害する集団を完全な服従へと追い込むような、一連の「大衆運動」を推進して展開しました。このやり方は、ヨーロッパの人民民主主義諸国の建設期に採用された「サラミ戦術」とそれほどの違いはありませんでした。犯罪者と売春や賭博や阿片の吸引などの社会的疎外者は厳しく処罰されたのです。

統制システムは革命が勝利する前からほとんど出来上がっていました。都市では、国民党が復活させた伝統的な相互管理システム(保甲制)を完成させて、15から20世帯の居住者グループが居民委員会のもとに組織され、この委員会自体がまた街道委員会または社区委員会に従属していました。どのよなものもこの網の目から逃れることはできなかったのです。

どのような小さな責任であっても、それを持つ者は誰もが警察の補助的な役目を果たしていました。警察は最初は旧体制の役人の大半を吸収したものの、利用価値がなくなると、彼らは将来のキャンペーンの際、「自然な」標的となったのです。既存の刑務所の状況といえば、飢餓的な食料配給、労働による極度の疲労、非人間的な規律、さらに恒常的な肉体的暴力が支配していました。

1950年7月に「反革命分子一掃」のためのキャンペーンが開始されました。1951年には国家・党の幹部の汚職浪費、官僚主義にたいする「三反」運動、引き続いて賄賂、不正行為、脱税、職務怠慢、国家機密の漏洩といった「五反」運動、さらには西洋化された知識人にたいして「思想改造キャンペーン」が発動されました。知識人は定期的に「再教育」の研修を受けたのです。党中央に励まされ、公安部という「軍事部門」の助けを得て、書記たちは権力を行使し、濫用することになりました。とりわけ1951年という恐るべき年については「赤色テロル」の語を使うことができるでしょう。

参考文献:共産主義黒書 コミンテルン・アジア編
第二部 アジアの共産主義ー「再教育」と虐殺のあいだ
第一章 中国
土地改革と都市での粛清(1946ー1957)
都市:「サラミ戦術」と財産没収


ナチズムの犠牲者約2500万人に対し、共産主義により殺された人数は1億人に近い。民族・人種によるジェノサイドとイデオロギーによるジェノサイドがどこが違うのか?

共産主義黒書 第一部はこちら Crescendo

人気ブログランキングへ


 『誰も知らない 世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義: 松岡正剛』を読みました。概要と感想を書きます。千夜千冊の方です。

 

799px-Houses.of.parliament.overall.arp.jpg

 

本書の概要は、あとがきにありました。

近現代史の「まちがい」がどこからおこったのか、そこをさぐっていくという語りかたに徹してみました。そのため本書では、多くの読者にはやや意外かもしれないであろう「イギリスのまちがい」ということをあえて示してみました。イギリスが犯罪者だというのではありません。イギリスは議会も株式会社もジャーナリズムも小説も産業技術も作ったんです。近代社会がその恩恵に浴しているモデルの多くがイギリスの発明です。

ところが、これらを世界に撒き散らさないと、イギリスは覇権を握れなくなった。そのため植民地を経営し、奴隷を発明し、三角貿易を定着させました。直播きです。直営です。それを百歩譲って、当時の世界経済の繁栄としてやむをえなかったとしましょうか。しかし、そのうちこのモデルは世界中が擬似的に共有するものとなってしまっていたんです。とくにそのイギリスからの移民によって自立したアメリカが、この覇権を継承すると、世界中が同一のルールとロールとツールを使うようになっていきました。

これは「まちがい」です。こんな歴史はかつてあったタメシがありません。だから、ここはよく考えなおすべきところです。ヨーロッパ諸国は、私が知るかぎりはこの「まちがい」を20世紀になってから何度かにわたって反省し、検討してきたように思います。その成果のひとつがフッサールやアドルノの現代思想や、カフカやベケットの文学となり、EUの試みやアート・ムーブメントになってきた。それを一言で言えば「自由と国家と資本主義」の新たな組み替えということでしょう。本書は、こうした「生みの苦しみ」のあとを辿ったものとも言えるかもしれません。

残念ながら、日本はいま「まちがい」を巨視的にとらえていないようです。互いの「なすりあい」に終始していて、疲れがでています。困ったことですね。

誰も知らない 世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義 おわりに 苗代の知恵 P466

イギリスが作った近代世界システムの間違いを考え直そうということのようです。

 

Leviathan.jpg

 

そして、近代とは「代理の社会」だそうです。

 私は、そもそも近代社会というのは「代理の社会」だというふうに思っています。

自分で政治もしないし、料理もしないし、洗濯もしない。政治は代議士にしてもらい、洗濯はクリーニング屋に頼み、旅行は旅行代理店に組んでもらう。法律のことは弁護士にまかせ、食事もレストランのシェフのものを食べ、教育は先生方に面倒を見てもらう。企業も財政面を銀行に見てもらい、その宣伝は広告代理店に代理させていく。

これが近代社会の実態です。なにもかもが他人のつくる機関にまかせていく。そして、大衆はそれに文句をつければいいということになっていく。こういう「代理の社会」をつくったことが、ネーション・ステートのもうひとつの特色だったわけです。

すべての代理がよくないということではありません。「まちがい」とも言いません。政治や法律や教育や医療は、代議士や弁護士や教師や医師にまかせてもいいでしょう。けれども、そこには限界もあるし、失敗もあるし、過剰や不足もあるのだから、目を光らせるだけではなく、ときには自分で引き取る覚悟を持っていたほうがいい。

その代理性が、20世紀後半ではついに米ソによる「代理戦争」にまで究極化していったわけでした。2つの大戦の戦禍や原因など、国家においてはなにひとつ反省されていなかったんですね。

こんな「代理の社会」がこのまま、21世紀の政治や経済の理想モデルになるかといえば、とうていムリでしょう。私はそれをせめて「編集の社会」にしていくべきだと思っています。「代理を編集で取り戻せ」ということですね。

誰も知らない 世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義 第10講・・・資本と大衆の時代 冷戦時代のポリティクスーー代理社会の代理戦争 P392

近代は「代理の社会」であり、エスカレートして「代理戦争」にまでなってしまった。

 

nawashiro.jpg

国営昭和記念公園 こもれびの里

筆者は、近代の間違いに対して「苗代」という方法で対処しようと提案しています。苗代は梅雨を挟んで稲を丈夫に育てるよう工夫した方法で、「依代(よりしろ)」「憑坐(よりまし)」「物実(ものざね)」という考え方のルーツのひとつになっていたそうです。これらは、そこに何かがやってきたり、着いたり、宿ったり、育ったりするとても小さな「座」「棒」「柵」のようなものだそうです。日本の稲作はダイレクトに育てず、苗代という仮の場所に種をまいて、2段階で育てる。

他国から来た異質なものも、いきなり全面的に受け入れず、まず小さく育ててみて吟味する。その段階で日本に合うものに「編集」して取り込むという方法を、筆者は提案しています。

 

一理ありますが、「苗代」は受け入れる側の方法論だけなので、外に広げていく側の方法論は別に構築する必要があると感じました。

「苗代」は農業のランドパワーの方法です。日本は島国なので、海を上手く使うというシーパワーの方法があります。日本は外交下手といいますが、土地をもってそこに引きこもるという発想で、内向きになってしまっています。海は物資の輸送に便利です。徳川時代に鎖国したおかげで、山田長政のように東南アジアに進出した日本人が途絶えてしまいました。それが続いていたら、日本人には国際感覚があふれていたと思います。

 

Atakebune2.jpg

 

本書では方向性が違いますが、「海の民」についての記述がありました。「水軍」などでしょうか。

世界にはいろいろ共同体のモデルがありえます。けれどもアジア的な共同体というと、そんなに多くのモデルにはなりません。①生態適応型の共同体、②ネットワーク型の共同体、③大文明型の共同体、おおざっぱにそのくらいでしょう。

①は、たとえば東南アジアの山地やジャワや日本の農村部にかつてはよく見られました。いまではこれを「エコ」などと言いますね。②は、「海の民」や「草の民」がつくってきた共同体です。ネットワーク的に動いていく共同体モデルです。③は、中国の社稷(しょしょく)共同体やインドのカースト制がつくってきた。しかし、こうしたアジアの共同体も、いまでは各地でいちじるしい変更や修正をうけてしまっています。

ということは、これらのどの共同体のモデルがいいかということではなく、いま残っている母型や単位をさまざまに共存させていくことが必要だということです。そういう「編集方法」を考えなければならないでしょう。

誰も知らない 世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義 第11講・・・日本の苗代をとりもどしたい 日本人の「ものの見方」 P432

「海の民」はネットワーク型の共同体ということです。コミュニティに閉じこもらずに外と積極的に関わっていくという意味だと思います。日本の活路は、海路にこそあるのでは無いかと思う訳です。

 

松浦彰夫 拝

人気ブログランキングへ


 災害は自然災害なら仕方ない面もありますが、人災となると許せない面があります。それも多くの人、さらに未来の人の迷惑になる場合は特にです。

 ある情報によれば、小沢一郎がロンドン密約で、浜岡、東海、伊方、柏崎、玄海、もんじゅ、六ヶ所村、女川の原発を爆発させ、日本を放射能の世界にする約束をしたようです。太平洋と日本海の2回の地震に合わせて原発を自爆させる計画です。プルサーマルなどでプルトニウムを使う所だらけです。プルトニウムの半減期は2万年です。2万年で半分、4万年で4分の1、ほぼ永久的に汚染されるということです。それだけ長期間汚染されるということは、日本だけでなく世界中に拡散するということです。これはもう、狂気に取り付かれているか、何も考えていないかどちらかです。こんな人に日本をまかせられないです。

 

松浦彰夫 拝

人気ブログランキングへ


村ごとに少なくとも一人の犠牲者が「必要」とされたことは明らかで、犠牲者の数は最低数に言って100万人に達していたし、多くの研究者は200から500万人のあいだの死者という数字で一致しています。そのうえ、400万から600万人にのぼるクラーク(富農)が、設置されたばかりの労改に連行され、その2倍の「クラーク」が地方当局の「支配下」に置かれたのでした。つまり、恒常的に監視され、最も辛い仕事に使われ、「大衆キャンペーン」の場合には、迫害の憂き目にあったのでした。

地元カトリック教徒会会長の全家族の殺戮および教会の封鎖、富農と連帯していた貧農への体罰と財産没収、過去三世代にわたる「封建的出身者」の追及、架空の財宝のありかを白状させるための死に至る拷問、焼きごてによる拷問をともなう尋問、処刑された者への家族への迫害の拡大、被刑者の墓の発掘と破壊など、1948年以後には、ある種の行き過ぎは廃止されたものの、それ以前は張荘村で猛威をふるったものでした。

中国の雲南省では、旧政府の警察官だったというだけの理由で「地主」に分類され、役人だったために懲罰刑を言い渡され、1951年の地方の土地改革が絶頂期を迎えた時に「階級敵」とされて死刑を宣告され処刑された例があります。しかし、どの行為が正確に処罰の理由となったかはついに明らかにされませんでした。これらはみな、村民の多数の賛同を得ていたように思われます。なぜなら、村民はこの後、強制収用された土地の分配に与ることができたからでした。

スケープゴートの虐殺は、共産党指導部がめざしていたような「正義の味方」としての党の背後に農民の一体性を実現する結果になったとは必ずしも言えませんでした。土地改革という広汎な運動の真の目的は、何よりもまず政治的次元のものであり、次に経済的次元のものであり、最後に初めて社会的次元のものだったのです。土地の40%は再分配されたものの、貧農がさほど裕福さを手に入れる結果にはならなかったのでした。中国の土地改革は、改革そのものを目的にしたのではなく、共産党機関による権力の全面的な奪取をめざしていたのです。そして、これ以上無いほど極端なテロルを操る共産党の能力を反抗分子や軟弱分子に見せつけることこそが目標だったのです。

参考文献:共産主義黒書 コミンテルン・アジア編
第二部 アジアの共産主義ー「再教育」と虐殺のあいだ
第一章 中国
土地改革と都市での粛清(1946ー1957)
農村:従順化と社会工学


ナチズムの犠牲者約2500万人に対し、共産主義により殺された人数は1億人に近い。民族・人種によるジェノサイドとイデオロギーによるジェノサイドがどこが違うのか?

共産主義黒書 第一部はこちら Crescendo

人気ブログランキングへ


アイテム

  • 799px-Houses.of.parliament.overall.arp.jpg
  • Leviathan.jpg
  • nawashiro.jpg
  • Atakebune2.jpg
  • 65649243-thumb-120x98-147.jpg
  • azuma.JPG
  • syuugou.JPG
  • yoshinogari.JPG
  • testosterone-secretion.jpg
  • 100214info1.png

2010年3月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

メルマガ購読

富士山の写真を購入希望の方は、メールかコメントで連絡してください。

全品10〜50%OFF!人気カラコン1980円〜。007速配コンタクト

【音の出る絵本】

ジョディ・フォスター★フライトプラン★レンタル保証!

人気コミックを全巻セット

PGS音楽市場

【オンライン書店ビーケーワン】話題の本・ベストセラー

SBCプレミアムイントラレーシック 今なら両眼12万8千円! たった20分で驚きの視力回復!0.06→1.5以上!!

ウイルス対策はエフセキュアインターネットセキュリティで決まり!

三牧ファミリー薬局
今週の特売


レンタルサーバー Xserver

【PR】ほしい商品も報酬も両方ゲット!A8.netのセルフバック
Powered by Movable Type 4.26