流水成道blog: 2008年11月アーカイブ

2008年11月アーカイブ

以心伝心

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連山に以心伝心の話があったので、考察してみます。的外れだったら、すみません。



天才は1を聞いて10を知る(感応力が高い)


新人(Cyber ULS弁務級以上幹部の数値モデル)


1→100→10000


情報の漸増が発生する


最上級の旧人モデル(言語伝達率=最大25%以下)


1→0.25→0.06以下


情報の漸減が発生する


スター型ネットワークで更に拡大します。


汚水は汚物と純水に高速分離されます。


環境問題は光速に解決していきます。


A→B→Aの言葉のやり取りで新人の場合は情報が100倍(価値上昇)になります。旧人の場合は簡単なカッシーニの機動計算でさえA→B→Aで6% まで情報価値が減少します。膨大なエネルギーを使ってもその情報蓄積効率が酷く低いのです。それが免疫力や知力の違いに現れます。昔の人はこれを以心伝心と言いました。



元厚生次官宅連続襲撃の考察 - 連山


1の情報が、人によっては10や100になる。


周辺と関係性を見ることで、1つの物事から関連する10や100の物事が連想される、ということではないか。


探偵小説の名探偵みたいなもので、小さな証拠を拾い集め、推理と確認で、過去を特定する。


あるいは、その場を支配している法則を見抜き、未来を計算する。



記憶から関連する物事を引っ張り出してくる作業なので、あらかじめ役に立ちそうな知識を蓄積しておくことが必要な気がします。


知らないことに対して、何か行動をおこすことはできないです。



松浦彰夫 拝



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行、知、情、意

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心と行動の関係について考えてみます。



人は行動するから、新しい物事を知る。


人がこの世に生まれて、初めの赤子の時は、何も考えていない。


何も考えていないけど、泣き叫んだりするなど、何か行動する。


行動することで、反応が返ってきて、そこで初めて世界がどういうものかという知識になる。


『行→知』の因果関係がある。



もうしばらくすると、感情が芽生えてくる。


お腹がすいている時にミルクを与えられると、お腹が満たされる。


ミルクという知識は、好ましいものだという感情になる。


『知→情』の因果関係がある。



次は、意思を持ってくる。


嫌な空腹をやめて、好ましい満腹になろうとする意思が育つ。


『情→意』の因果関係がある。



満腹になろうとすると、泣き叫ぶという、行動をする。


『意→行』の因果関係がある。



ここで初めに戻り、循環を始める。


人を育てるためには、この『行→知→情→意→行』の循環を大事にしてあげることが大事だと思う。



それだけではなく、これを自覚することは、自分を育てることにもつながる。


つまり、自分で『行→知→情→意→行』の流れを太くする。


世界から広く知識を集め、音楽などの芸術から感情を学び、成功する確率の高い計画を立てて、行動する。


失敗したら、別の方向から再チャレンジする。


どうしたらいいか分からなければ、とにかく何か行動して、情報を集める。



この繰り返しで、人は人として育っていく


こんなことを考えました。



松浦彰夫 拝



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国籍法改正問題

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昨日まで良く知りませんでしたが、まずいです。




Q  一体全体何が変わるのですか? 今までだって偽装はあったのでは?


A. これまでは、胎児認知のみでした。したがって、偽装するにも妊婦の存在が不可欠。手間がかかるので容易ではありません。しかし改正法では、20歳未満の外国人なら、多重債務者とかホームレスに認知届を書いて貰うだけで、簡単に日本国籍が取得できます。



Q. 偽装は厳しく取り締まる、って擁護派の人は言ってるけど?


A.  不可能です。 実質自己申告のような内容なので、血縁関係の有無を客観的に証明できる手段がありません。なお、日本の認知制度は、 本来実子にしか認知を認めていません が、しかしあくまでも配慮として「意志主義」という子供と家族の心情を汲み取って、実子でなくとも認知されているケースがあります。(日本人同士の場合は国籍付与の問題は発生しない。) この点は民法や戸籍法の部分にも見直しを入れなければならないようですが、現在なにも議論されていません



Q. 認知されて国籍取れるのは子供だけでしょ? すぐに実害はないのでは?


A. 未成年なので、19歳11月までなら、国籍取得可能となります。世の中には戸籍制度の無い国もたくさんあります。「アフリカのとある国から来ました。戸籍制度はありませんが、老け顔ですが自分は19歳11月です」と言い張れば、国籍取得可能です。


日本語が読めない・書けない・喋れない人でも成人すれば 選挙権が与えられます。



404エラー


関連のリンクです。


Free Japan!


チャンネル桜 | 【緊急番組】 「国籍法」改正案 成立の危機



D



D


犯罪組織が喜びそうな法律ですね。なんとかならないものか。衆議院を議論も無しに通過して、参議院で審議中です。


売国議員リスト愛国議員リストがあるので、今度の選挙では良く考えて行動しましょう。



(2008年12月13日追記)


上記リンクの愛国議員リストは、麻生太郎が入っていることから分かるように、不正確でした。変なものを紹介して、申し訳ないです。みなさんも真実は自分で検証するようにお願いします。


ネットゲリラさんの記事も参考になります。



麻生の外交政策


・IMFに10兆円贈呈


・尖閣への領海侵犯で取った対抗措置 遺憾の意のみ


・領海侵犯してきた台湾漁船に4600万円の賠償金支払い


・韓国に2兆6千億円の経済援助


【ネトウヨびっくり理論】


国籍法改正→麻生閣下は知らなかったんだよ。(首相が知らないってヤバすぎw)


韓国支援→在韓の日本企業がヤバイじゃん。(今まで売国企業は帰ってくるな、と言ってましたw)




松浦彰夫 拝



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本来の和の思想

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和の思想とは、個人の自己主張の前提である。



和の思想とは、もちろん、聖徳太子の作として知られ、「和を以て尊しとなし」で始まる十七条憲法の思想のことである。ところが、十七条憲法のこの思想は、一般に信じられているように、個人が自己主張すること否定し、皆と同じ考え方や行動をすることを勧めるものでは決してない。そういう風潮が日本にあるのは確かだけれど、それは十七条憲法の和の思想とは根本的に異なっている。本論文で扱うのは、風潮としての和の精神ではなく、七世紀の日本に現れた国家憲法の基本思想としての和の思想である。


和の思想はその基本的構造が十七条憲法の第一条、第十条、第十七条にかなり明確に示されている。第一条にその本質が語られるけれど、特にそれは、「和を以て尊し」となすその目的は何かを説明した、第一条の最後の部分に示される。つまり、



上下のものが仲睦まじく、事を論じ合えば、理が通るようになり、そうすれば何事も出来ぬことはない。



とするところである。ここには、国家共同体を運営してゆくために必要と信じられる最も基本的な思想が語られている。つまり、和がまず確立すれば、論議が可能となる。論議がなされれば理が導き出される。理でものごとを進めれば国家共同体の運営がうまくできるはずである、という考え方である。言い換えれば、国家共同体の運営は理でなされなければならないけれど、その理は論議から生まれてくる。そして、そのような論議を可能とする場こそが「和」である、というのである。これが十七条憲法の和の思想の核心となるところである。


それでは、どのようにしてそのような和を確立することが出来るのであろうか。それは、何が和の敵であるかを明確にすることによって明らかになる。和の敵とは論議を不可能にするものなのである。ではいったい何が論議を不可能にするのであろうか。それは、自己の考え方を絶対化し、それを他に押しつけることができるとする独善主義である。このことに関して論じたのが第十条である。



心の怒りを断ち、おもての怒りを棄てて、他人が自分と違うことに対して怒りをもってはならない。人はそれぞれ心に想うところがあるのであり、他人が良いと思うことを自分は悪いと思ったり、自分が良いと思っても、他人はそれを悪いと思ったりするものである。自分だけが聖人で他人は愚人である、ということはない。人は皆な賢愚合わせ持つ凡夫にすぎない。



つまり、人はそれぞれの心を持ち、その心はそれぞれおもむくところにおもむく。それゆえ、人それぞれ価値観が違い、しかもすべてを知っている完全な人間などいない。人間は皆「賢愚合わせ持つ」不完全な凡夫にすぎないのであるから、国家共同体を運営してゆくにあたって、独善主義を捨てて、自分と違う意見を持つ者に対して寛容でなければならない、というのである。つまり、凡夫の自覚によって培われる、意見の相違に対する寛容が論議を可能にする場を作り出すのだ、という思想がここには語られている。人間のこころの自由性、価値観の多様性、知識の不完全性、これらが和の思想の基本的人間観であり、和の思想がよって立つ哲学的基盤である。


一体何故、そんなに論議が必要なのであろうか。それを語るのが最後の第十七条である。



もの事は独断で行ってはならない。かならず衆と論じ合うようにせよ。ささいなことはかならずしも皆にはからなくてもよいが、大事なことを決する場合には、あやまりがあってはならない。多くの人と相談し合えば、理にかなったことを知りうるのである。



これが、いわゆる十七条憲法の衆議の思想である。論議を行うのは、国家共同体の運営のために「あやまりがあってはならない」からである。これは第一条の「論ずれば事理が通じる」という部分と重なり合っているが、第一条では論議を可能とさせる和の確立の重要性が、ここでは具体的な衆議の実践の重要性が語られているわけである。また、第十条では人間の「愚」の側面を自覚させることによって独断主義を禁止したのであるが、ここでは、人間の「賢」の側面への慎重な信頼が現れているとも言えるであろう。不完全な、部分的知識でも、集まって批判・論議を交わすことによって、誤った考えが訂正され、部分的な知識がより完全になる、と考えるからであろう。このように、国家運営の重大な決定は必ず衆議によらねばならない、というのが和の思想の具体的な実践への結論である。それは国家政治における独善主義・独断主義・独裁主義の否定を意味する。


以上が、十七条憲法に書かれている和の思想の内容である。このようにして見てくると、和の思想が、人が異なった価値観や意見を持っていることに対する寛容の必要性と、彼らの論議への積極的参加と、その論議から導き出される理による国家共同体の統治 -- これら「和・論・理」の三段構造をその基本として持つ、きわめて合理的な政治思想であることがわかる。



和の思想と個人主義 国家政治の基本思想 佐倉哲


どんな人も勘違いや間違いをする凡夫だから、重大なことを間違えて皆に取り返しのつかない迷惑をかけないために、それぞれの賢い部分を持ち寄って議論をする。


自己主張をしなければ、その人の賢い部分が無駄になってしまい、共同体にとっての損失となります。


また、自己主張するためには、自分の賢い部分をみがいて、役に立つ意見にする必要があるでしょう。



私の意見としては、こういう和の実現には努力が必要ですが、参加する楽しさがあると思います。


言いたいことがあって、それが正しいことだと思うなら、どんどん発言するべきだということですね。



あと注意点として、何が正しいかは状況に応じて変わるので、その状況に応じた主張と議論をする心がけも大事ですね。


私としては、あんまり壮大なことは分かりませんが、素朴なことは、なんとなく分かるような気がします。



松浦彰夫 拝



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悪を知らないのも善だが、悪を知りながら悪に染まらないことの方がより善だ。


これも確か、孔子の言葉です。


悪ではないものが善。野獣の情動を持ちながら、それに従属せず、それを冷静に見つめ、行動を制御すること。


初期衝動の中に個人の独自性がある。それを守りつつも、それが社会にとって悪とならないように行動する必要があります。そうしないと生きていけません。



松浦彰夫 拝



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道とは

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茶道とか、剣道とか、神道とか、日本人は大事にしているモノに道を付けて呼ぶことを好みます。


道とは人と人の関係性、あるいは人と自然界の万物との関係性、今風に言えばネットワークや継承や循環、それらをまとめたものの比喩なのではないか。


師匠と弟子の関係から始まって、主人と客人の関係、自己と他者の関係、他者と他者の関係、人間と自然の関係。それらが相互に影響を及ぼしあうことなのではないか。


道とは人が立って歩く土台であり、町と町、人と人を結びつけるものです。


最初の人類が、まだ1つの群れだったころ、群れの中で食べ物や道具を分け合い、助け合って生きてきた。


その記憶が、人類の脳と心に刻まれ、道という言葉の響きに郷愁を思い起こすのではないか。


そんなことを空想します。



松浦彰夫 拝



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言葉、行動、友人

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その人がどういう人か判断するためには、言葉、行動、友人を知ればいい。


たしか、孔子の言葉で、論語か何かに載っていたと思います。


言葉だけなら嘘もつけますが、言葉と行動が違えば嘘だと分かるし、まともな人にはその人に似た、まともな友人がいるということですね。


言葉、行動、人付き合いに矛盾があった場合、そこにその人の本質が垣間見えることがあります。


人は、いくつかの立場の間を揺れ動いたり、変わっていったりするものでもあり、何も考えていないで、矛盾した言動をすることもあります。


1日1回くらい、寝る前にでも、今日の自分の言動に矛盾が無かったか、確認するのもいいかもしれません。自分がどういう人間か分かってきます。



松浦彰夫 拝



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天国と地獄

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貰うか与えるかの点で、3つの経済モデルである、上意下達方式、交換経済、贈与の文化を考えてみよう。



 人間が持つ組織化のほとんどの方法は、希少性と欲求に対する適応行動だ。それぞれの方法は、社会的地位を獲得する別々の手段を持っている。


 一番簡単な方法は 上意下達方式(command hierarchy)だ。上意下達方式では、稀少な財の配分は一つの中央権力が行って、それが軍事力でバックアップされる。上意下達方式は、規模の変化への適応力(スケーラビリティ)がものすごくとぼしい[Mal]。大きくなるにつれて、ますます横暴で非効率になってゆく。このため、大家族以上の上意下達方式はほぼかならずといっていいほど、別のかたちのもっと大きな経済に寄生する存在でしかない。上意下達方式では、社会的地位はおもに恐喝力へのアクセス能力によって決まってくる。


 ぼくたちの社会はもっぱら交換経済だ。これは財の希少性に対する洗練された適応方式で、規模の変化にもよく適応する。稀少な財の配分は、交換と自発的な協力によって非中心的に行われる(そして実は、競争の欲望がもたらす最大の効果は協力行動を生み出すことだ)。交換経済では、社会的地位はおもにもの(必ずしも物質的なものとは限らない)のコントロールの大小で決まる。


 ほとんどの人は、この二つについては説明されるまでもなく精神的なモデルを持っているし、それらがどう相互に機能するかもわかっている。政府や軍、ギャング集団などは、ぼくたちが「自由市場」とよぶもっと大きな交換経済に寄生している上意下達システムだ。しかしながら、このどちらともまったくちがっていて、人類学者たち以外はあまり認知されていない第三のモデルがあるんだ。これが贈与の文化だ。


 贈与文化は、希少性ではなく過剰への適応だ。それは生存に不可欠な財について、物質的な欠乏があまり起きない社会で生じる。穏和な気候と豊富な食料を持った経済圏の原住民の間には、贈与経済が見られる。ぼくたち自身の社会でも、一部の層では観察される。たとえばショービジネスや大金持ちの間でだ。


 過剰は上意下達関係を維持困難にして、交換による関係をほとんど無意味なゲームにしてしまう。贈与の文化では、社会的なステータスはその人がなにをコントロールしているかではなく、その人がなにをあげてしまうかで決まる。



Homesteading the Noosphere: Japanese: 贈与経済としてのハッカー文化


経済とは、物品、お金、サービスなどの価値のあるものをやり取りすることのわけですが、貰うことを(-)、与えることを(+)とすると、以下のようになります。





経済方式貰う(-)か与える(+)か人の構成
上意下達方式(-)のみ奪い合う人々
交換経済(-)と(+)が同じ等価交換する人々
贈与の文化(+)のみ与え合う人々

仏教の説話だと思いますが、天国と地獄とはどういうものか、とても長い箸がある世界の話があります。


長い箸では、自分の口に食べ物を運ぶことが出来ないが、他人の口には運ぶことができる。自分だけ食べようとすれば食べられない地獄になり、人を食べさせれば天国になる。


この話も混ぜると次のようになります。(なお、天国と地獄の間を人間界とします。)





経済方式貰う(-)か与える(+)か人の構成略称
上意下達方式(-)のみ奪い合う人々地獄
交換経済(-)と(+)が同じ等価交換する人々人間界
贈与の文化(+)のみ与え合う人々天国

どこが暮らしやすいかといえば、地獄より人間界、人間界より天国になるはずです。


奪う人ばかりだと、やがて奪うものがなくなり、奪っていた人も奪われる側になり、社会は壊滅するでしょう。(参考: イースター文明 - 連山 )イースター島では人食いまでして、99%以上の人が死にました。壊滅までいかなくても、いつ奪われか、ビクビクしながら暮らすことになります。


等価交換なら、なんとか暮らしていけます。ただし、自分の価値のあるものを、人の価値の無いものと交換してしまうというという落とし穴はあります。詐欺師を排除する必要があります。


与える人だけなら、気楽です。何かを持って行かれても、元々あげるためのものなので、なんともないです。





経済方式貰う(-)か与える(+)か人の構成略称暮らしやすさモデル
上意下達方式(-)のみ奪い合う人々地獄暮らしにくいイースター島
交換経済(-)と(+)が同じ等価交換する人々人間界暮らしていける市場社会
贈与の文化(+)のみ与え合う人々天国暮らしやすいハッカー

暮らしやすさの点からすれば、地獄が無くなって、天国ばかりになればありがたいですが、なかなかそうもいきません。


まず、仕組みが必要です。ハッカー社会では、自分が使うものを作り、余ったので人にも配ることで成立しました。複製してもタダなので可能です。物質世界では、それなりの資源が必要ですね。エネルギーとしての電力や、生きていくための食料と水、住居や衣服が豊富にあることが必要です。資源の生産を確保すること。 水素文明 - 連山 はそのための運動なのだと考えてます。私としても暮らしやすい世界のために、これを応援しているわけです。


もうひとつの問題は、地獄は拡大する傾向があり、それを防がなければ天国が地獄に飲み込まれることが起こりえることです。イースター島は太平洋の孤島であり、船を作る木も無くなったので、その島だけが地獄になりました。これが他の地域と陸続きだったり、他の陸地の近くでだったら、そこに行って奪おうとしたでしょう。地獄の輸出です。


地獄という決まった土地があるのではなく、奪おうと考える人がいる場所が地獄なのです。地獄の考え方をする人は、どこに行っても地獄が追いかけてきます。


地獄の拡大を防ぐためには、奪おうと考える人を減らすことが大事です。これを見ている人で、奪うことばかり考えている人は、与えることも考えてみませんか?


人は誰でも生まれたときは赤ん坊です。無力でなにもできず、親から食事を与えられなければ生きていけません。貰うことしかできないのであり、地獄的な生き方です。今生きている人は、それでも育ててもらった人です。赤ん坊のまま、わがままに育ってしまうと貰うことしか考えない人になります。


奪うだけの人は、嫌われます。奪われれれば気分が悪いし、与えられれば嬉しくなります。奪う人より与える人と仲良くなりたいと思うものです。嫌われたくない人は、人になにか与えることができないか考え、行動しましょう。そうすれば地獄から遠ざかります。行動しだいです。





経済方式貰う(-)か与える(+)か人の構成略称暮らしやすさモデル嫌われるか好かれるか
上意下達方式(-)のみ奪い合う人々地獄暮らしにくいイースター島嫌われる
交換経済(-)と(+)が同じ等価交換する人々人間界暮らしていける市場社会嫌われも好かれもしない
贈与の文化(+)のみ与え合う人々天国暮らしやすいハッカー好かれる


松浦彰夫 拝



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