恐怖、虐殺、粛清、搾取、飢餓・・・誰が暴力を行使したのか。歴史に記された貴方の真実。なぜ、ナチズムが断罪され共産主義はされないのか?フランス、ヨーロッパで大論争を巻き起こしたベストセラー共産主義黒書-犯罪・テロル・抑圧-<ソ連篇>を要約しながら紹介。
第四章 「醜悪な戦争」
ボリシェヴィキ・テロルの類型
ーアナキストから君主制支持者までの非ボリシェヴィキの政治的闘士
ーパン、仕事、最低の自由と尊厳といった、最も基本的な権利のため戦う労働者
ー無数の農民反乱と赤軍部隊の反乱に巻き込まれた農民、脱走兵
ーソビエト体制に敵対的な社会的および民族的グループとして大量に強制収容されたコサック
ー「社会的異分子」および他の「人民の敵」・・・「容疑者」および「人質」として」予防的に抹殺された者
第四章 「醜悪な戦争」
徹底した弾圧
1918年4月11日、モスクワのアナキストへの襲撃、このときは数十人がその場で処刑されました。1919年から1921年の間に138人が処刑、281人が流刑。こうしたことから、アナキストの中にはボリシェヴィキ陣営への復帰をする者や、チェーカーの幹部になった者すらいました。
左派社会革命党は1919年には58の左派社会革命党の組織が解体され、翌年には45がつぶされました。右派社会革命党は最も危険な政敵とみなされ1918年6月にはメンシェヴィキと共に排除されました。その後はメンシェヴィキと一緒に短命の政府をつくったものの崩壊され、ボリシェヴィキに対して一貫した政策を取ることが困難でした。一方、ボリシェヴィキは穏健派にたいして宥和政策とスパイ作戦や弾圧政策を交互に行ったのです。そして、1919年3月31日チェーカーは社会革命党とメンシェヴィキの活動家を一斉検挙し1900人以上の活動家が逮捕されました。
1919年8月28日、レーニンが「プラウダ」に論文を発表した直後に「逮捕の第二波」が起こりました。その中でエスーエルとメンシェヴィキを「白軍、地主、資本家の共犯者にして従僕」と非難し1919年最後の4ヶ月間で2380人の社会革命党員とメンシェヴィキが逮捕しています。そして、1920年の夏には2000人以上のが人質として逮捕されました。
小沢氏への権力一極集中が進んでいます。
30日ルールを無視し天皇陛下と中国の習近平国家副主席との特例会見を推し進めたニュースを観ても小沢氏への権力集中は進んでいるということです。
そして小沢氏は、政権奪還の為に手段を選ばない自民党の底力を知り抜いていて、多少強引でも自民党を殲滅しようと考えているようです。これも来年夏の参院選や統一地方選挙を見据え、自民党を殲滅し民主党の政権を安定させる為ですが、この報道だけ見ても、一次的であれ1917年11〜12月の総選挙の時にたやすく多数派になった右派社会革命党、そしてまたメンシェヴィキを追いつめた時のボリシェヴィキと相似しています。
また、「子ども手当」への所得制限導入やガソリン税の暫定税率維持など、党の総選挙マニフェストに反する項目を挙げる民主党は、農民謂土地を与えるとして人心を集め、権力を握った後は掌を返すやり方など、まさしく当時のボリシェヴィキ体制と全く同じです。
ボリシェヴィキ体制へ反対する政治的闘士は投獄されたり、流刑になったりしながらも生き残った反対党の指導者は多くの証言を残しています。しかし、チェーカーの懲罰作戦で虐殺されたり処刑された労働者や下層の農民は何も残すことができませんでした。当時何も残すことが出来なかった彼らと現在の日本で生きる私達と何ら変わりありません。
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来年以降、この苛酷さは増していきます。歴史のフラクタルを知れば未来を観ることができます。それが光なのか闇なのか、どちらを選択するのか決めるのは貴方なのです。
それでは12月30日東京でお会いしましょう。











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