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第一章 中国

共産主義中国における抑圧政策はソ連における弾圧、、スターリンのやり方の複製だったのでしょうか?この体制による非業の死者の数を考えれば「イエス」という答えが導きだせます。

確実な推定によれば、直接的な犠牲者は600〜1000万人、さらに「反革命者」とよばれる人々が長い監獄制度の中で命を落とした者が、そそらく2000万人にのぼろうとされています。さらに、1959年から1961年にかけ「大躍進」と呼ばれた時期に、2000万〜4300万人にのぼる「過剰な死者」が出ました。この数字は毛沢東という一人の男の常軌を逸した帰途から生じた飢饉の犠牲者のことでした。最後に、チベット人がこうむったジェノサイドと呼んでもいい被害の規模も考えるべきでしょう。

これらと比較できる殺戮や飢饉を見出そうとすれば19世紀の第3・4半期まで遡らなければなりません。中国の歴史上での、この瞬間はそれ自体例外的に悲劇的な時期だったのです。

1949年以降、北京政権は諸国民のうち3分の2近くを統治し,1991年以降のソ連の消滅と東欧の非共産主義化の後には、10分の9に相当しました。雲散霧消したに等しい「現実の社会主義」の運命は、中国における共産主義の今後にかかっていたことは明らかでした。遡れば、中国は1960年の中ソ決裂以後、公然とマルクスーレーニン主義の「第二のローマ」の役割を演じていましたが、実質的には、長征の後、延安の『解放区」を確立した時期(1935年〜1947年)以来のことでした。朝鮮、日本、ベトナムの共産主義者はときとしてこの延安に避難しては新たな根拠を見出していました。

ナチズムの犠牲者約2500万人に対し、共産主義により殺された人数は1億人に近い。民族・人種によるジェノサイドとイデオロギーによるジェノサイドがどこが違うのか?

共産主義黒書 第一部はこちら Crescendo

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このページは、倉橋正幸が2010年1月26日 00:00に書いたブログ記事です。

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