暴力的伝統によるのか?2

これら残酷な千年王国運動(ユートピアの性急な実現を求める運動)を20世紀のアジアの革命運動と比較しないですますのは難しいでしょう。前者は、なぜ時として運動が勝利しえたのか、なぜ運動にともなう暴力が多くの人に正常で当たり前に見えたのか、を理解する助けになるのです。

地方の隅々まで教えられていた公式の教義である儒教は、恩恵を君主の基本的な徳とし、家族になぞらえて国家を形成しよとした。人間主義的な諸原理と呼んでも決して時代錯誤にならないこの態度から、虐殺に訴えることは厳しく退けられ、人間の命に高い価値が付与されていたのです。この事情は時代を遡っても変わらないのです。墨子(紀元前479〜381年頃)は「一人だけの殺人が犯罪とされる一方で、複数の殺人、たとえば、他の国を攻撃するような多数者の殺人が善行として賞賛されるとすれば、善悪の区別を知るなどと呼べるだろうか?」と断罪しました。

孫氏の「兵法」(紀元前500年頃)によれば「戦いは火事のようなものだ。武器を置こうとしない者は武器によって滅びる」とされています。経済的に、可能な限り短期間だけ戦い、流血を最小限にとどめるのがよい。「持久戦がいずれの国にせよ利益をもたらした例はかつてみられたことがない・・・百戦百勝は最高の技量ではない・・・敵を打ち負かすのに秀でた者は、敵の脅威が具体化する前に勝利を収めるものだ」敵軍を全滅させようと懸命になってはならない。「敵軍を捕虜にすることは敵軍の絶滅に優る・・・殺人を勧めてはならない」殺戮と残忍な行為は敵に憎悪と絶望的なエネルギーとを呼び起こすばかりであり、敵はそれを利用し、状況を有利な方向に転換させうるかもしれない」さらにこうも言っています、「最良の政策とは、国家を無償のまま奪い取ることである。国家を滅ぼすことは次善の策でしかない」と。

参考文献:共産主義黒書 コミンテルン・アジア編
第二部 アジアの共産主義ー「再教育」と虐殺のあいだ
第一章 中国
暴力的伝統によるのか?

ナチズムの犠牲者約2500万人に対し、共産主義により殺された人数は1億人に近い。民族・人種によるジェノサイドとイデオロギーによるジェノサイドがどこが違うのか?

共産主義黒書 第一部はこちら Crescendo

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