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史上最大の飢饉(1959ー1961)

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「少なくとも毛沢東は一人一人の中国人に茶碗一杯の飯を与えることに成功した」という間違った神話があります。歴史を通じてまれに見る規模の、農民に課せられた努力にもかかわらず、ほとんど変化は起こることはありませんでした。とりわけ毛沢東と彼がつくりあげたシステムは、あらゆる時代とあらゆる国をひっくるめても、最大多数の死者を出した飢饉として今に残り続けている出来事に対して責任があるのです。

毛沢東の目的が同朋を大量に殺すことではなかったとしても、飢え死にした数百万の人々のことを、毛沢東は気遣うことはしませんでした。この時期の彼の主な気がかりは、彼自身が糾弾される可能性があると知っていた現実を最大限に否認することでした。共産党指導部の、とりわけその主席の、経済分野における無能力、国に関する誤解、思い上がりのなかでの孤立、主意主義的なユートピア主義を強烈に出していました。

1957年の豊作に力づけられた毛沢東は気の進まない農民にたいして、大躍進の諸目標を、さらに1958年には大躍進に到達する手段と想定された人民公社をも、提案し押し付けたのでした。この大躍進政策とは、「三年間の努力と欠乏、千年間の幸福」をスローガンに、きわめて短期間で農民の生活様式を一変させる企てでした。具体的には、農民は数万家族に編成され、食事から、すべてが共同のものになり、また、新しい耕作方法により、農業生産を飛躍的に発展させるという企てでもありました。


参考文献:共産主義黒書 コミンテルン・アジア編
第二部 アジアの共産主義ー「再教育」と虐殺のあいだ
第一章 中国
史上最大の飢饉(1959ー1961)


ナチズムの犠牲者約2500万人に対し、共産主義により殺された人数は1億人に近い。民族・人種によるジェノサイドとイデオロギーによるジェノサイドがどこが違うのか?

共産主義黒書 第一部はこちら Crescendo

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このページは、倉橋正幸が2010年3月12日 17:30に書いたブログ記事です。

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