流水成道blog: 2010年4月アーカイブ

2010年4月アーカイブ

WiMAXを新幹線で使う

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 今、新幹線の中ですが、WiMAXを使用してブログを書いています。

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所々圏外になりますが、意外と書けるものですね。接続速度は新幹線で移動中でも数100Kbps出てます。

WiMAXとは、外に居てもインターネット接続ができる規格とその機器のことです。

WiMAX(ワイマックス、Worldwide Interoperability for Microwave Access)とは無線通信技術の規格のひとつである。

人口希薄地帯や、高速通信(光・メタル)回線の敷設やDSL等の利用が困難な地域で、いわゆるラストワンマイルの接続手段として期待されている。近年は、高速移動体通信用の規格も策定されている。WiMAXは当初、中長距離エリアをカバーする無線通信を目的としておりWiMAXアクセス網は「Wireless MAN」(MAN: Metropolitan Area Network)と定義される。

WiMAXは異なる機器間での相互接続性確保のため、IEEE 802.16作業部会と業界団体のWiMAX Forumにより規格標準化が進められている。 

WiMAX - Wikipedia

サービスエリアは凄い勢いで拡大中のようです。

UQ WiMAX | サービスエリア

 

松浦彰夫 拝

 近いうちに自由の代価さんの作った電動バイクを見に行く予定です。現在の輸送に使用されるエネルギーは石油一辺倒ですが、電動モーターをガソリンエンジンやディーゼルエンジンと交換すれば石油に頼らなくてもバイクが動く訳です。そして電動自動車や燃料電池を積んだ水素船に発展します。

経済にとって輸送は重要な要素です。石油はそのうち無くなる、または非常に高価になりますので、その時に電動の輸送手段があれば最低限の輸送手段は維持できるわけです。

電気の供給元としては、石油の供給が止まって火力発電所や原子力発電所維持できなくなっても、小型の水力や風力の発電所なら小資本で建設できますので、地方で土地が安い所に建築して、地方の収入源になる予定です。

電動バイクも設計図があれば地方の鉄工所で作れるシンプルなものですので、設計図を提供して作ってもらいます。これも地方経済の収入源となります。

 

松浦彰夫 拝

へぐり時代祭り

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 私の故郷は、奈良県の平群町という町です。そして今日、4月25日に、平城遷都1300年祭の一環としてへぐり時代祭りを行うそうです。残念ながら私は別の用事があって行けないのですが、良い機会なので紹介させていただきます。

 

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へぐり時代祭りの開催について
平城遷都1300年となる来年(2010年)。
平群町では、平群の歴史を偲ばせる偉人たちが、町内を練り歩く「時代行列」や「催し」など、参加者が地域文化に触れながら楽しく過ごせるイベントとして「へぐり時代祭り 〜自然と歴史の玉手箱〜」を平成22年4月25日(日)くまがしステーション周辺にて開催します。
「へぐり時代祭り」の概要については現在企画を進めていますので、詳細につきましては、継続してお知らせしていきます。

時代行列の登場人物決定!
「へぐり時代祭り」のメインイベントである「時代行列」に登場する人物が決定しました。
平群町の歴史を彩った「偉人」たちというコンセプトにより、時代行列の登場人物の選定を実行委員会で協議した結果、
●倭 建命(やまとたけるのみこと)
●平群 木莵(へぐりのずく)
●役 行者(えんのぎょうじゃ)
●長屋王(ながやおう)
●吉備内親王(きびないしんのう)
●平群 廣足(へぐりのひろたり)
●命蓮上人(みょうれんしょうにん)
●松永 久秀 (まつながひさひで)
●嶋 左近(しまさこん)
以上9名の人物を選びました。いずれも平群の一時代を象徴する人物たちです。

「平城遷都1300年祭 へぐり時代祭り」 これまでの歩み

ゆるキャラは、せんとくん、左近くん、長屋くん、しぎとらくん、たつたひめ、 が参加するようです。人材が豊富で紹介しきれないので、また機会があれば紹介します。

歴史

古代の大和国平群郡平群郷の地である。古代豪族・平群氏の本拠地であり、平群神社、平群坐紀氏神社、平群石床神社などの延喜式内社が鎮座するのをはじめ、古墳64基が散在する。

信貴山縁起絵巻で有名な信貴山朝護孫子寺も町域に属する。

中世後期には、しばしば大和国を動かす中心地となる。1536年(天文5年)に木沢長政が信貴山城を築城、後に大和に入った松永久秀もこれを補修して居城とし、大和攻略の拠点とした。久秀の滅亡後は城は廃城とされている。

平群町 - Wikipedia

 町の名前の由来は、古代氏族の平群氏です。歴史が長いです。 

平群氏(へぐりし)は、武内宿禰の後裔と伝えられ、大和国平群郡平群郷(奈良県生駒郡平群町)を本拠地とした古代在地豪族の一つ。姓は臣(おみ)、後に朝臣。

『日本書紀』の所伝によると、応神朝から軍事氏族としての活躍が見え、履中朝に平群木菟宿禰(へぐりのつくのすくね)が国政に携わるようになった。葛城氏没落後の雄略朝以降、木菟の子の真鳥(まとり)が「大臣」を歴任して一族の興隆を極めた。しかし、仁賢天皇の崩後、真鳥大臣は日本国王になろうと専横を極めて、国政をほしいままにしたため、天皇家をも凌ぐその勢力を怖れられ、稚鷦鷯太子(後の武烈天皇)の命を受けた大伴金村により、真鳥とその子の鮪(しび)は誅殺されたという(498年)。

これ以後、平群氏の氏人はしばらく『書紀』から姿を消すが、用明天皇2年(587年)の物部討伐将軍として神手(かみて)の名が見え、この頃までに大夫選任氏族としての地位を得ていた。同13年(684年)10月の八色の姓施行に伴い、改めて朝臣姓を賜る。奈良時代には広成などの官人を輩出したが、その後は没落した。

平群氏 - Wikipedia

 今で言えば、総理大臣になるくらいの勢力があったのですが、色々やりすぎて討伐されてしまったみたいです。平群真鳥は、竹内文書を書いたとされている人のようです。良くわからないですけど。

竹内文書(たけうちもんじょ/たけのうちもんじょ。磯原文書、天津教文書ともいう)とは、神代文字で記された文書と、それを武烈天皇の勅命により武内宿禰(たけのうちのすくね)の孫の平群真鳥(へぐりのまとり)が漢字とカタカナ交じり文に訳したとする写本群と、文字の刻んだ石、鉄剣など、一連の総称で、いわゆる古史古伝の書物であり、偽書とされている。

竹内文書 - Wikipedia

戦国時代には信貴山城がありました。松永久秀が織田信長に攻められて、平蜘蛛の釜に火薬を詰めて爆死。ど派手な死に方のため、歴史小説にたびたび登場します。

 

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松永 久秀(まつなが ひさひで)は、戦国時代の武将。別名 松永弾正 (まつなが だんじょう)。大和の戦国大名。
略歴

出身地は山城国とも播磨国ともいわれる。父は不明。嫡男に松永久通、養子に松永永種、また弟に松永長頼がいる。

はじめ三好長慶に仕えたが、やがて三好家家中で実力をつけ、長慶の死後は三好三人衆と共に第13代将軍・足利義輝を殺害し、畿内を支配した。しかし織田信長が義輝の弟・足利義昭を奉じて上洛してくると、信長に降伏して家臣となる。その後、信長に反逆して敗れ、文献上では日本初となる爆死という方法で自害した。

一説には、第13代将軍・足利義輝暗殺や東大寺大仏殿焼失の首謀者などとも言われる。

北条早雲・斎藤道三と並んで日本三大梟雄とも評されるが、信貴山城近郊の人々からは、連歌や茶道に長けた教養人であり、領国に善政を敷いた名君として、現在でも知られている。

松永久秀 - Wikipedia

平群には、もう1人戦国武将がいます。島清興です。平群の在地領主であり、筒井家家臣として松永久秀とは敵対していました。

 

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島 清興(しま きよおき)は、安土桃山時代の武将で石田三成の家臣。通称である島 左近(しま さこん)の名で一般に広く知られる。本項目でも、特に断りが無い限りは「左近」と表記する。実名は俗に勝猛(かつたけ)などともいうが、文書から確かなのは清興である[1]。

「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と謳われるほどの人物であった。娘(珠)は柳生利巌の継室で、剣豪として名高い柳生厳包は外孫にあたる。

出自

島氏[2]は今の奈良県生駒郡平群町周辺の在地領主で、椿井城を本拠にしていたとされる[3]。 島氏の出自は明らかでないが、本姓は藤原姓であるという。また、清興の出身を対馬国とする説もあったが、現在では大和国出身であることが明らかとなっている。なお、近年では「島左近」は筒井氏家臣である島氏代々の名乗りとする説もある

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの前日には、会津の上杉景勝、また北からの万一の伊達政宗の裏切りに備えて江戸からなかなか動けないはずの家康の美濃赤坂到着の報に動揺する西軍の兵たちを鼓舞するために、兵500を率いて東軍側の中村一栄・有馬豊氏両隊に小競り合いを挑み(杭瀬川の戦い)、明石全登(宇喜多秀家家臣)隊と共に完勝した。しかし、その夜に島津義弘・小西行長らと共に提案した夜襲は、またもや三成に受け入れられずに終わった(夜襲はそもそも進言されていないという説もある。夜襲策の出典は『日本戦史(旧日本軍参謀本部編)』)。関ヶ原の戦い本戦においては、最初は西軍有利に進み、左近も自ら陣頭に立ち奮戦するが黒田長政の鉄砲隊に横合いから銃撃され負傷、一時撤退する(この時、死亡したとも)。正午過ぎ、小早川秀秋の寝返りを皮切りに西軍は総崩れとなった。左近は討ち死にを覚悟して再び出陣、正面の田中吉政・黒田長政らの軍に突撃し、奮戦した末に敵の銃撃により討ち死にしたという。

最期の折の勇猛さ・狂気じみた奮戦ぶりは東軍諸将のあいだでも語り草となり、黒田隊の兵士たちは関ヶ原から数年が過ぎても悪夢にうなされ、夢枕で左近が発した「かかれー!」の声を聞いて恐怖のあまり布団から飛び起きたと言われる(常山紀談)。江戸初期、筑前福岡城において関ヶ原に出陣し、島を目撃した老いた武将達が島の服装について若侍相手に語り合ったが、物指、陣羽織、具足に至るまでそれぞれの記憶が違い一致するところがなかった。これは島のあまりの恐ろしさが故に記憶が定かではなかったためとしている[7]。

島清興 - Wikipedia

語りだしたらキリがなくなってきました。信貴山の動画を貼って、終わりにします。

【命蓮】信貴山・朝護孫子寺 参詣してきた【毘沙門天】‐ニコニコ動画(9)

 

松浦彰夫 拝

 4月だというのにやたら寒くて、鹿児島では雪が降ったそうです。

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強い冬型の気圧配置の影響で13日から14日明け方にかけ大雪となった薩摩・大隅地方は同日午後、大陸からの移動性高気圧の接近に伴い、雪や低温の恐れは遠のいた。ただ、山沿いでは残雪や路面凍結している個所があり、鹿児島地方気象台は引き続き注意を呼びかけている。
同気象台によると、13日から九州南部の上空1500メートルに流れ込んでいた氷点下9度以下の寒気は東側に移動。移動性高気圧が九州の西海上に接近しているため、九州南部の天気は回復傾向。

鹿児島県内、雪や低温の恐れ遠のく [動画] : 南日本新聞エリアニュース

 寒冷化は、長期的には熱塩海洋循環が停滞しているというのと、短期的にはアイスランドの火山噴火が原因として考えられます。

 

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熱塩海洋循環は、1万3千年前ごろのヤンガードリアス(Younger Dryas ヤンガードライアスとも言う)期に停止もしくは著しく停滞したと考えられている。ヤンガードリアス期に先立つアレレード期の温暖化は、当時北米を覆っていたローレンタイド氷床を融かし、広大なアガシー湖を形成した。その融氷水は、当初、ミシシッピー川を経てメキシコ湾に流れていたが、東側にあったマルキュティ氷河がなくなったために、セントローレンス川を経て、北大西洋に流れた。その結果、北大西洋の塩分濃度が大幅に薄まり、熱塩海洋循環の動きが止まったというわけである。

熱塩海洋循環が停止すると何が起きるかを知るには、ヤンガードリアス期に何が起きたかを知らなければならない。ヤンガードリアス期の最もよく知られた変動は、気温の急激な低下である。特にメキシコ湾流の流れが止まった結果、北大西洋地域が寒冷化した。

熱塩海洋循環の停滞は何をもたらすのか

 火山噴火による寒冷化としては、天明の大飢饉があります。このときも浅間山とアイスランドで噴火がありました。浅間山は去年噴火してます。

異常気象の原因

1783年、浅間山に先立ちアイスランドのラキ火山(Lakagígar)が噴火(ラカギガル割れ目噴火)、同じくアイスランドのグリームスヴォトン(Grímsvötn)火山もまた1783年から1785年にかけて噴火した。これらの噴火は1回の噴出量が桁違いに大きく、おびただしい量の有毒な火山ガスが放出された。成層圏まで上昇した塵は地球の北半分を覆い、地上に達する日射量を減少させ、北半球に低温化・冷害を生起しフランス革命の遠因となったといわれている。影響は日本にも及び、浅間山の噴火とともに東北地方で天明の大飢饉の原因となった可能性がある。

天明の大飢饉 - Wikipedia

日本では雪が降るくらいですが、ヨーロッパでは航空機が欠航になったり大変だそうです。天明の大飢饉の時の噴火はフランス革命の原因となったように、今回の噴火はEUの今後に影響しそうです。

 

松浦彰夫 拝

風車の内部説明の動画

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世の中には個人で発電施設を持っている方々がいます。太陽電池、水車、風車などです。こういうので電気自動車などに充電できれば、石油が輸入できなくなっても物流を維持できます。佐賀にそういう方がいらっしゃいましたので、ジョギング会の後に見学させてもらいました。

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下記は風車の内部に登らせていただいて、説明を受けた動画です。ちょうど修理中で止まっていました。電気は電力会社に売電しているそうです。

YouTube - 風車に登って構造の説明を受けました

ちなみに風車の見学に来る人は多いですが、真似した人はまだ居ないそうです。本格的な風車ですのんで、このレベルを1から作るのは個人ではできないですね。スケールがでかいです。これはベルギーで使用していたものを輸入したそうです。ベルギー語を読める人があまりいないので、買い手が付かなかったものを手に入れたとか。ベルギー語の説明書を、英語→日本語の順に訳したそうです。補修は1人でしているそうです。風車は色々大変そうでしたが、かっこ良かったです。かっこ良ければいいのです。

 

松浦彰夫 拝

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