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あらゆる時代で最大の人口をかかえた刑務所システム

労改の中に毛沢東主義は何千万という人々を埋め込んでしまいました。そしておびただしい人々が死んだのです。 約2000万人の中国人が拘留中に死に、そのうち400万人は大躍進の飢饉ー1959年〜1962年のあいだに死んだことになります。

中国の収容所世界は広大さと永続性と多様性を持ち合わせていました。その中で拘禁センターは 収容所群へのふるいの役割を果たす施設であり、その数は約2500で、都市部におかれました。被拘禁者の多数は 労働収容所に送られることになっていて、最も多くの服役者を抱えた収容所は満州北部、内モンゴル、チベット、青海の半砂漠地帯に位置していました。 とりわけ青海は文字通りの「監獄省」であり、酷暑の夏、厳寒の冬という地域だったのです。西部と東北部の僻地にある収用所は条件が非常に過酷なことで知られていましたが、刑務所用の大国営農場より、都市化した地域にある刑務所工場の方が その労働リズムはさらに耐え難いものだったのです。

労働収容所は原則として省または市の行政管理下におかれており、被拘禁者は全体として同一の地理的出身者でした。ソ連と異なり労働収容所は地域の経済戦略に組み込まれていました。 収容所の住人は異なる3つの身分集団に分類されるべきでした。最も多数で永続的な集団は毛沢東の治下で労改、つまり「労働による改造」とでも訳すべき活動を課せられた者です。中長期の刑を宣告されたこのグループの服役者は軍隊式に組織され、公民権を 失い、完全に無給で、面会の機会もめったに与えられなかったのでした。

出陣 ver

*現在の派遣労働者と似ていますね。多くの仕事は3Kであり、職業選択の自由を保証されていながら実際は選択の余地がないと・・・。この共産主義を選択したのが国民だったのですから 責任をこのように背負うことになるのです。数の上では派遣労働者は多いので政治を動かすこともできたのですが、当時の中国と同じで農民が常に無気力だったように、今日の多くの派遣労働者も 同じであり、行き着く先も同じだったのです。

8月中旬のコミケの後に会席を用意しています。私も何度か参加させて頂きましたが肩苦しいものでもないので初めての方でもお気軽に参加してね!詳細は後日。

参考文献:共産主義黒書 コミンテルン・アジア編
第二部 アジアの共産主義ー「再教育」と虐殺のあいだ
第一章 中国
労改(ラオガイ)ー隠された<グラーグ>

共産主義黒書 第一部はこちら Crescendo

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このページは、倉橋正幸が2010年7月20日 14:46に書いたブログ記事です。

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