2010年6月9日、秋月の方針で、ドラマ原発震災を制作することが決まりました。
8月13日のコミックマーケット78を期限として、6話を制作すること。目標は2000人のリスナーを集めることになりました。
なぜ、この時期に、原発震災のドラマかといえば、アイルランドの噴火や世界各地の大地震などから分かるように、地球の地殻変動が活発化していることで、危険が高まっていることとがあります。このドラマは、原発震災の対応マニュアルとしての意味があります。
また、秋月の今後の活動をどうするか、世論を元に決定するためでもありました。リスナーが2000人集まれば、来年の統一地方選挙で、「選挙における革命」というプロジェクトを行なう予定でした。期限までに6話を作ったのですが、結果は1000人強と約半分でしたので「選挙における革命」は延期され、替わりに「投資における革命」を行なうことになりました。「選挙における革命」は正面突破の作戦で、「投資における革命」は間接アプローチの作戦です。正面突破できるだけの兵力があれば、それが速くて良かったのですが、半分の兵力しか得られなかったので、持久で兵力を増やしていくことになりました。日本の改革は、その分遅れて、しばらく貧乏になります。日本の皆様、その間は耐えてください。申し訳ないです。
ドラマの制作は、期限まで2カ月、6回放送なので、週1回の放送として、準備期間は約2週間でした。
最初の1週間は、インターネットで、ドラマの制作方法を書いてあるサイトや、無料効果音を公開しているサイトを探して、読んだり、聴いたりしてました。平行して、副監督の陸戦隊さんに、予告編を作ってもらったり、秋月音楽隊さんに効果音楽を作ってもらってました。
2週間目、無料の情報だけだと限界を感じたので、オーディオドラマの書き方の本を買いました。
ドラマ脚本の書き方―映像ドラマとオーディオドラマ
テレビ、映画、舞台などの、視覚と音声を組み合わせた映像ドラマだと視覚情報が9割くらいを占めるのですが、オーディオドラマの場合は音声だけで表現しますので、脚本の書き方が大きく違ってきます。映像ドラマのように一目見ただけで分からせることはできない。しかし、小説のように細部を細かく書けば、スピード感が無くなる。そこで、オーディオドラマは、役者のセリフで行ないます。
例えば、映像ドラマだと「おはよう」と一言で済む場面では、「おはよう、サクヤ」「おはよう、マナブ」と相手の名前を入れます。セリフに出来ない説明は、ナレーションか効果音を入れます。また感情を表すには、声の調子を変えるほかに、音楽を入れます。
ドラマ論も書いてありました。「ドラマは葛藤である」「ドラマは感情である」「ドラマは人間と人間関係を描くものである」「ドラマとは変化である」「ドラマは人生の縮図である」
詳しくは本を読んでください。これくらい読め無い人は、シナリオを作れないでしょう。
本にも書いてありますが、シナリオを「どう書くのか」は教えられるが、「何を書くのか」は教えてもらえないものでした。何を作るのかは、自分なりの作る理由から生まれてきます。
私の場合、ドラマを作る理由を悩みに悩んだ結果、「未来をシミュレーションして、原発震災が実際に起こった場合に、パニックを起こさずに避難できるようにする」ことにしました。地震で原発が事故を起こした場合の避難方法について、あいまいな点が多いため、G-Watcherの間でも意思統一が取れておらず、このままでは実際に起きた場合に避難に失敗するであろうと、予想できました。まだ起こっていないので、実感できない。しかし、実際に起こってから、考えていたのでは遅い。そういうことで、未来を先取りする形でドラマにして、感情に訴えることにしました。なかなか、人は理論だけでは行動できないです。人は普通、感情で動きます。
避難マニュアルですので、できるだけ理論的に正しいようにしました。資料をできるだけ集め、理論的に合わないアイデアは没にしました。例えば、静岡の浜岡原発で事故が起こった時、山梨に避難するつもりでしたが、震災時に山梨まで100kmも歩いていくのは無理なので、海を使って避難することにしました。被害状況は、旧ソ連ウクライナのチェルノブイリ原発事故を参考にしました。資料を集めて分かったのですが、チェルノブイリも地震が原因だったようです。事故の前に地震が測定されていました。チェルノブイリの場合、小さな地震でも大事故になりました。マグニチュード8〜9の東海地震、東海・南海・東南海連動型地震だと、防ぎきれないでしょう。
巨大災害とはいえ、日本人全員が亡くなるわけではないので、残された人は生活していかなければなりません。放射能の影響は、量によっては時間がかかりますので、病人も多くなるでしょう。日本を離れ、移民する人も出ますでしょうから、エデンの園を追い出されたアダムとイブのようになりそうです。そうなった時、日本の良さも消えてなくなってしまうのは、先祖に申し訳なくて、忍びないです。
日本の良さというのは、人や自然に対する優しさだと思います。自然を大切にする文化と科学文明を両立してきました。飛鳥時代に初の森林伐採禁止令が出されていますし、室町時代から本格的に植林を行なっています。世界標準では、資源を採り尽くしたら移動するだけですので、4大文明の発祥地は沙漠になっています。ヨーロッパの平野やアメリカの沙漠は、元は森林でした。
日本人が日本を離れ、世界に出た時に、そういう日本の良さを人類の普遍的な価値観まで、一般化できるかどうかが、問われています。具体的にいえば、環境技術です。
上記のようなことを最初から考えていた訳ではなく、何度も未来をシミュレートした結果、そこに収斂しました。
芸術とか文化というものは、生み出されたら、一人歩きする性質があります。生命力に似たものが宿ります。工業より農業に近いです。英語のcultureの語源は耕すことだそうです。土壌が文化で、種や苗が芸術なのでしょう。太陽の光や水が足りなかったり、思った方向に伸びなかったり、なかなか思い通りに育ちませんが、やり方によってはそれなりの作物が採れるようです。やってみたら分かります。
松浦彰夫 拝