弩と鉄砲2 交易ルートを確保して、矢弾を独占 - 流水成道blog

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弩と鉄砲2 交易ルートを確保して、矢弾を独占

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弩と鉄砲は簡単で強力な武器ですが、矢や弾丸が少ないと簡単に使えません。

弩も火縄銃も、1発撃って、次に撃つまでに1分くらいかかります。

こちらが1人だと、撃って外れた時や複数の敵がいる時は敵の接近を許してしまい、刀や槍に負けてしまいます。

そのため、弩や鉄砲は大量に用意し、大量に撃って弾幕を張ることで、「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」と戦力になりました。

大和朝廷では、1軍団で1000挺の弩を配備していましたし、織田信長は、長篠の戦いで3000挺の銃を集めて使いました。

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矢は鏃(やじり)によって威力が変わります。

石器時代は石や骨の鏃、古墳時代は青銅器の鏃でした。

大和朝廷は、鉄を大陸から輸入して、鉄の鏃を使いました。

矢は使えば無くなりますので、大量に必要です。

大和朝廷は、米の生産に力を入れており、寒くて食料があまり作れない朝鮮に米を輸出して、鉄を輸入していました。

そして、日本国内で鉄を独占販売しました。

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大和朝廷に認められた豪族だけが鉄を買うことができました。

武器だけでなく、農機具に鉄を使えば農業生産の効率が上がります。

鉄を持っている豪族と持っていない豪族が戦えば、持っている方が有利ですので、鉄は領地経営の権力の源泉でもありました。

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織田信長は、上洛した後、真っ先に堺の港を押さえました。

そのため、火縄銃に必要な、火薬の原料の硝石や、弾の原料の鉛を独占的に輸入できるようになりました。

織田軍は、尾張、美濃から、畿内の順に支配地域を広げていきましたが、これらは交易が盛んな地域や、米の生産が多い地域を狙ったものでした。

今川義元や武田勝頼に勝った後、それらの領地を占領しなかったのは、儲からない土地だったからです。

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楽市・楽座によって貨幣経済を活発にした後で、米を石見銀山の銀に交換し、銀を輸出することで、硝石や鉛を大量に買うことができました。

銀を大量に輸出したため、戦国時代の世界で流通する銀の半分はポトシ銀山、もう半分は石見(いわみ)銀山から採掘されたものでした。

長篠の戦いでは、武田軍も鉄砲はありましたが、弾をほとんど持っていませんでしたので効果的に使うことができず、弾を大量に持っていて鉄砲を連射できる織田軍が勝ちました。

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このように、弩や鉄砲を効果的に使うためには、交易のルートと経済力が必要でした。

経済力の源泉は、大和朝廷も織田信長も米でしたが、これは労働が人力で行われていたため、人が働くエネルギー源としての食料が重要だったためです。

現在の労働は機械で行いますので、現在で例えると、機械を動かすための電気や燃料を大量に生産していたようなものです。

 

松浦彰夫 拝

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このページは、松浦彰夫が2014年12月12日 03:02に書いたブログ記事です。

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