弩と鉄砲3 兵隊の募集 屯田兵と足軽兵 - 流水成道blog

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弩と鉄砲3 兵隊の募集 屯田兵と足軽兵

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弩(いしゆみ)や火縄銃を量産し、矢や弾薬を大量にそろえたとします。

次は、それを持たせる兵隊が必要です。

大和朝廷や織田信長は、どこから兵隊を集めたのでしょうか。

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埼玉県の埼玉(さきたま)古墳群の稲荷山古墳から、115文字が彫られて、金で彩色された鉄剣が見つかっています。

「乎獲居(おわけ)の臣(おみ)は、8代にわたって大王の親衛隊長をしており、獲加多支鹵(わかたける)大王の補佐をしていた時に、この剣を作らせた」ということと、先祖7代の人物名が書かれています。

獲加多支鹵(わかたける)大王とは雄略天皇で、吉備氏などの地方豪族を屈服させて中央集権を進めたり、朝鮮に出兵して高句麗や新羅と戦ったりした人物です。

115文字は刀剣に書かれた文字としては中国や朝鮮の事例よりも多く、私的な人物名を書かせていることから、刀鍛冶にかなり無理な命令を出せる地位にあったことが分かります。

熊本県の江田船山古墳からも、獲加多支鹵(わかたける)大王と書かれた鉄刀が見つかっていますが、こちらは銀の75文字なので少し格が落ちます。

また、埼玉の稲荷山古墳は仁徳天皇陵とそっくりの形で、ぴったり4分の1の大きさなので、同じ技術者が作ったことが分かります。

地方の豪族を登用するか、軍事を担当する豪族に地方の土地を与えるというように、兵隊は地方豪族から集めていました。

天智天皇の時代に白村江の戦いで敗戦した後、九州を防衛した防人は、東海道の遠江・駿河・相模・上総・下総・常陸 東山道の信濃・上野・武蔵・下野の10国から集められました。

これらは富士山の火山灰が降る地域であり、富士山が噴火していて農作物があまり育たなかったため、九州まで出稼ぎに行っていたとも考えられます。

なお防人は九州では農地を耕して、食料を自給していました。

このように大和朝廷の兵隊は農民兵なので、訓練が少なくてすむ弩が使われました。

 

また、坂上田村麻呂などの蝦夷討伐軍でも弩が活躍しました。

坂上田村麻呂は、漢の滅亡で日本にやってきた渡来人です。

川の鉄砲水を使った水攻めで、5000人中4000人が死亡するという被害を出した後は、防御を重視し、城を作って食料、武器弾薬を備蓄するようになりました。

また、食料、武器弾薬を輸送するため、街道も整備しました。

弩は、接近されたり、夜の暗い場所では使えないという弱点がありますが、夜は城にこもり、物資の輸送と備蓄を充実させ、昼間に数千の弩を一斉射撃するという戦略で蝦夷を屈服させることができました。

このように、異民族も軍隊に使いました。

 

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織田信長の旗印は、永楽通宝という当時の国際決済通貨でしたので、貨幣経済を基盤に軍隊を編成していたことが分かります。

織田信長は、楽市楽座、関所の廃止により、貨幣経済と人の交通を活発化させました。

金銭で米が買えるようになっていましたので、軍隊が農地を耕す必要がなくなり、貨幣を出せば日本中から兵隊志願者が集まってきました。給料で食料を買えば良いのです。

常備軍による軍事革命です。

武田勝頼は大和朝廷からの伝統の農民兵であり、常備軍より兵士を増やしにくいため、長篠の合戦で、織田信長に人数で負けることになりました。

織田軍は寄せ集めの軍隊でしたが、火縄銃を持たせて、馬防柵で防御を固めることで、武田軍を圧倒することができました。

 

連載1回目は、知識と技術力の話でした。

大和朝廷は、遣隋使、遣唐使で、お茶や紙など世界の文物を蒐集しました。

織田信長は、ルイスフロイスなどの宣教師から世界の話を聞き、地球儀や時計などももらっていました。

連載2回目は、経済力と補給の話でした。

大和朝廷は、鉄の貿易を独占し、農業生産を増大させました。

織田信長は、日本最大の港の堺を支配し、火薬と弾丸を独占し、南蛮貿易を活発化させました。

連載3回目は、兵士の募集の話でした。

大和朝廷の頃は、農業が未発達だったので農業を奨励し、人口を増やす事で兵士を増やしました。

織田信長の頃は、貨幣経済が未発達だったので貨幣経済を奨励し、兵士が自分から集まってくるようにして兵士を増やしました。

 

リーダーには、分配型のリーダーと冒険型のリーダーがいます。

分配型のリーダーは、他人から奪い味方に与えます。社会が拡大している時代は上手くいきますが、社会が縮小している時代には、味方を食わせられなくなり、弱い味方を殺して、強い味方を食わせます。

そのため縮小の時代に、内部分裂して、滅亡します。

高度成長期にうまくいっていたことが、現在の不況では上手くいかないのは、分配型のリーダーのせいです。

冒険型のリーダーは、外の世界に出かけて、知識や技術を持ち帰ります。

大和朝廷や、織田信長は冒険型のリーダーでした。

部下にとっては直接の利益は少なく、持ち出しの方が多いくらいですが、全体のパイを拡大するため損失以上の利益がありました。

今のような縮小の時代では、冒険型のリーダーが必要です。

 

松浦彰夫 拝

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このブログ記事について

このページは、松浦彰夫が2014年12月14日 15:52に書いたブログ記事です。

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