世の中を良くするためには、善いものを増やして、害のあるものを取り除かないといけない。これを仏教理論では慈悲と呼びます。
慈悲(じひ、パーリ語mettā、サンスクリット語maitrii, karuNaa、मैत्री करुणा)
楽をあたえることを「慈」といい、苦を抜くことを「悲」というといわれる。これを抜苦与楽(ばっくよらく)という。また仏・菩薩の無辺の慈悲心を大悲という。
サンスクリット語の「マイトリー(maitrii)」は、「ミトラ」(mitra、मित्र)から造られた抽象名詞で、本来は「友情」「同志」の意味である。しかも、ある特定の人に対し友情をもつのではなく、あらゆる人々に平等に友情をもち、友誼を示すことをいう。したがって慈とは、このようないっさいの人々に対する平等の友情をいう。
次に、サンスクリット語の「カルナ(karuNaa)」は「優しい」「哀れむべき」というのであるが、その原意は「呻き」(うめき)にあるという。「悲」とは、まず人生の苦に対する人間の呻きを意味する。その呻きがなぜ「悲」かというと、自らが呻く悲しい存在であることを知ることによって、ほんとうに他者の苦がわかる。そこで、はじめて他者と同感してゆく同苦の思いが生じる。その自分の中にある同苦の思いが、他の苦を癒さずにおれないという救済の思いとなって働く、それが悲であるという。
悪い事、嫌な事があると、「他人が悪いからこんな嫌な思いをする」と考える人がいます。それも場合によっては正しいのですが、誰かが悪いからといって人を攻撃するだけでは、自分の価値が上がるというわけではありません。
自分の価値を上げる努力をしなければ、価値の低い自分のままです。自分自身の価値を上げることは教育によって可能です。
教育(きょういく、英: education、仏: éducation、独: Bildung, Erziehung)は、人がよりよく生き、またそれによって社会が維持・発展するように、人の持つ能力を引き出したり、新たに身につけさせたりする活動。
勘違いしてはいけないのは、ある人が多くの資産を所有しているからといって、それだけではその人が偉いといえないことです。ただ持っているだけでは意味が無く、使いこなせてこそ力には意味がある。 例えば親から莫大な遺産を受け取ったとして、ただ持っているだけでは意味が無く、むしろ下手な使い方をすれば害になることも多い。どうすれば意味のある使い方をできるか、学ばないと使えません。結局、教育が大事だということになります。
しかし、現在の教育機関にまかせればそれでよいのかといえば、残念ながら違います。第1に、新しい世界に適合する方法を教えないという問題。第2に、生徒のための教育でなく、教師の利益のための教育になっているという問題があります。
子どもは大人の鏡と言います。大人が嘘を吐けば、子どもはそれを憶えて真似ます。左の図は産経新聞に掲載された子どもの暴力行為です。日本の学校では携帯電話のような情報機器の活用や電車を使った冒険を小学生に禁じています。実に愚かな行為です。子どもの敵は学校の変態教師です。外に出て襲われるならそれは自己責任の面があり納得もできるでしょう。しかし、実際には身を守る術無く襲われるのは校内です。報道されるのは氷山の一角に過ぎません。私は昔から強く高校時代から中型バイクに乗っていました。強い人間、強力な群れ(クラスター)を形成している人間には卑怯者や臆病者は決して襲ってきません。これは私の経験則です。そして、私は大学時代から世界を巡り、多くの事象を見てきました。日本の変態教師ではないですが、襲われるのは決まって弱い人間、女性や子どもです。故に、これから老いる大人は厳しい制裁を子どもから受けるでしょう。私は被害者ではないので報復する権利を有しません。また、これから犠牲になる子どもたちを助ける事もできません。しかし、私にできることは戦い方を教える事です。状況がここまで悪化しても何もしようとしない人間に対して連中が老いて弱った時にどうやって集団で戦い生き残るかを教えることはできます。数は決して多くは無いでしょうが自然淘汰を生き抜いた彼らは人類の黄金時代を生み出すでしょう。もし、何かを為さねばならないと感じたら2009年12月30日に東京国際展示場(橘研究所ブースin東地区 「オ」ブロック 10b)に来て下さい。此れが最後ですので世界の志士が集ります。
家が虫食いになって、被害が軽い場合は補修をすれば良いですが、被害が重い場合は建て直すことになります。建て直す場合、いきなり切り倒してしまえば住む場所がなくなってしまいます。そういうときはまず空き地に家を建ててから取り壊せば、住む場所に困りません。神宮式年遷宮の方法です。
今の社会は、相当の歪みがたまっていますので、少しの補修では直りません。根本から作り直す必要があります。炭素文明が取り壊す家で、水素文明が新しい家になります。
新しい家を建てるには空き地が必要です。物質世界は行き詰まっていますが、インターネットなどの情報機器の性能は加速度的に上がっています。そこで現実の硬直した家はそのままに、インターネット上の世界(無形化世界)に主要な機能を移転しています。普段は無形化空間で学習し、必要に応じて物質世界に影響を及ぼします。このシステムが真の意味での情報革命です。
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現代では形のある物理的な軍事力のようなパワーが主役の座を降り,経済力をはじめとする無形化したパワーが世界を動かす主役となった。そして現代では時を経るごとにコンピューターの中の数字が一種の仮想的な現実として力を強め,物質そのものを圧倒し始めている。[無形化世界の力学と戦略]
第二次世界大戦以後の世界情勢は,東西陣営による核ミサイル軍拡競争による恐怖の均衡によって,直接的に軍事力を使用する有形の戦争は減少した。核兵器というジョーカーによる通常兵器の無力化である。これがパワーの無形化である。そして,無力化された通常兵器に取って代わるものとして,新たにパワーとして頭角を現して来たのが
(i) 国家・企業間での通貨戦争や貿易戦争などの経済戦争,
(ii) 大学・シンクタンクなど知的機関による学問領域における正統性争い・覇権争い,
(iii) TVや新聞,報道機関などメディアを通じた報道戦争・イデオロギー戦争である。
これらの争いでは,軍事力を行使しないため,「見えざる戦争=無形化世界における戦争」である。大規模戦争が勃発しなくなった昨今では,これらの無形化世界における戦争こそが重要なのであり,その可視化と定量化,そして無形化世界での戦略を構築すべきというのが長沼氏の意見である。
無形化したパワー
無形化世界におけるパワーとして,長沼氏が挙げるものは以下の三つである。
(i) 経済力
(ii) 研究機関の知的影響力
(iii) メディアの力
年末年始のイベント参加は、無形化世界から物質世界に出現するという訓練でもあるのです。
松浦彰夫 拝

















